|
|
河和→阿久比→太田川
雨上がりの日曜朝の河和駅はひっそりとしていた。だが少し冷たい空気が気持ちいい。
河和からは(各)岐阜急7005Fで太田川まで行く予定である。さっき栄生から名古屋まで
一区間乗った車両だ。
今回は9次車7105に乗ることにした。
ホームには人がほとんどいなかったが、乗っている人は意外と多い。
失礼ながら、河和で電車に乗る人は少ないだろうと思っていたので少しうれしかった。
電車は緑いっぱいの単線区間を折り返していく、右手に海が見えると河和口だ。
電車から海が見えるというのは本当にいいものである。
富貴では内海からの普通列車の接続を取ったのだが、乗り換え客が意外に多く、
座席がかなり埋まってきた。
これは知多武豊、青山、成岩と停車するうちにどんどん乗客が増え、知多半田では
かなりの立客が出ていた。
特急が全車指定の河和線では、急行の需要は高いのかもしれない。
これも一部指定特急が走り出すと流れが変わるかも、そしてJR武豊線との競合が
激しくなるかも、と思う。
青山で河和急行7001F、知多半田で河和普通7043Fに会った。河和線はパノラマカーが多い。
9次車は私はあまり好んで乗ったことがなかった。
だからさっき栄生で乗ったときも、乗ったのは1次車7005であった。
心の中でどこか「パノラマカーらしくない」と思っていたのかも知れない。
そういえば9次車が出たとき、当時の新聞で「これもパノラマカー」「両開きのパノラマカー」なんて見出しだった覚えがある。
特別料金不要とはいえ、パノラマカーは特急車であり、通勤車のような両開きには
みんな違和感を感じたのかも知れない。
以前父に聞いたことがあるが、その当時のラッシュはすさまじかったらしい。
特にパノラマカーは乗降が不便で、よく遅れたと聞いている。
それでもパノラマカーや2扉クロスの伝統を守りたかったのかもしれない。それが
9次車の両開きになったのかなあ、と思う。
シートピッチも大柄な私にとっては明らかに狭く、5500系と同じ肘掛はやはり違和感があるが、その他はやっぱりパノラマカーだ。
結果的に、この翌年6000系が出たのだが、9次車の経験が生かされたのであろう。
これが9次車に乗るのも最後になるかも知れない、そしてのちの名鉄車両に大きな影響を
及ぼしたかも知れないこの車両に愛着が出てきたのも確かだ。
「よし、太田川まで9次車の走りを味わうぞ」
そう思ったそのとき、電車は阿久比に着いた。
横を見ると「あっ!7025Fがいる!」
前々回、P重連急行で会った7025Fであった。
これに乗っても太田川でのP4セントレア普通に間に合う。。。そう思った次の瞬間、
私は7026に向かって歩いていた。
「また会えましたね!元気そうで何よりです」
7025Fを見た時の私の思いだった。
今回の乗車計画を立てていたとき、想定していなかった出会いだけに、喜びも倍増である。
7025Fは、多くの編成が白帯化され、華やかな道を歩んできた他のP4に比べて地味な経歴を送ってきている。
そもそも、4次車は先頭車しか造られず、最初に中間にいたのは何と7001Fにいた
中間車であった。
7025、7026にとっては先輩が中間にいたのはやりにくかったのかな?とも思う。
今は後輩の8次車が中間にいる。これは同じ4次車の7027Fも同じ運命だ。
が、気がつけば周りはほとんど引退していた。7027Fは中京競馬場で眠り、7021F,7023F,7029F,7031Fは既に天に昇っている。
そんな中で残っているのは本当に「奇跡」かもしれない。
いつ引退してもおかしくない、と考えていたので車内は結構ぼろぼろなのかな?と
思っていたが、7026はそれほどぼろぼろな感じはしない。だが、8次車の中間車は
やはり疲れているような感じもする。
座席特急などずっと陽のあたるところを歩いており、特別整備されていないこともあり、
さっき乗っていた7005Fの一次車よりも明らかに疲れている。
それを考えると、早く休ませてあげた方が良いのかも知れない。
でも4次車は最後の最後に大役を果たすことになる。中京競馬場に保存された7027Fは、
これからパノラマカーの走らない世代に、パノラマカーのすばらしさ、夢を伝える
重要な役割を担うのである。
7025Fは高架準備工事の始まっただだっ広い太田川に着いた。留置線には出番を待つ
7033Fが休んでいた。
さあ、次はP4セントレアダラだ。どの編成に会うんだろう・・・・
|
|